女性には結婚、妊娠と大きな問題がつきまとう。
結婚も妊娠も喜ぶべきイベントだが、どうしても色々と悩まねばならない事象があるのだ。
私の出身は静岡県で、そちらで四年間臨床検査技師として地域の中核をなす病院に勤めていた。
やりがいもあり、自身のスペックを上げるための努力も大いにしてきたつもりだ。
だが、結婚相手は愛知県。
婿に来てくれると言っていた言葉を一転、嫁に来てくれと言ってきた。
泣く泣く退職し、愛知に嫁に来たのが4年前。
結婚後は家事との両立のため、すぐに近所の産婦人科にパートとして勤め始めた。
こちらは新たな分野で、不妊治療のラボワークと産婦人科の検査業務と、少し戸惑いながらもとても忙しく働いた。
■自分の不妊治療をしながら、産婦人科で務める日々
不妊治療に通うカップルは現在珍しくない。
私自身もその一人で、友人知人にも何人かいる。
妊娠希望を前提として働き始めたが、一向にその気配がない。
周りからも「まだなの?」と声が上がり始めた。
妊娠への知識は仕事上、必然的にあったから、すぐに勤め先ではない別の病院に駆け込んだ。
そこでひそかに不妊治療をすること2年。
治療中の業務はとてもつらかった。
勤務中は忙しい事もあり、あまり考えることはないのだが、帰宅するととたんに涙がでてくる。
妊婦さんのお腹を計った時の張った感触。
幸せそうな笑顔。
赤ちゃんの小さい手。
可愛らしくも大きい鳴き声。
私だって赤ちゃんが欲しい。
なのになんでできないのだろう。
不妊治療のラボワークは、患者さんを見ると自分を見ているようで胸が痛い。
診察中、先生に患者さんから「痛い」と訴えがある。
先生は「そんなに痛いことしてないよ」
介助の看護師さんの優しい声掛けに和む治療室の中で、私は心のなかで「痛い時もあるんだよ」と先生にむかって吠えている。
■妊娠、流産
仕事をして家事をして治療を続けて、やっと高度生殖医療で妊娠。
赤ちゃんできた!
エコー上で、心臓が白く元気よく光っているのを見た時は涙がでた。
やっときてくれた。
本当にうれしかった。
それから3ヶ月、急にきたお腹の痛みと出血。
切迫流産だった。
でもまだ赤ちゃんはいてくれた。
剥がれそうになりながら、懸命にしがみついてくれていた。
仕事なんてしている場合じゃない!
私は自宅安静の書類を持って、勤め先に退職願を出した。
それから2ヶ月。
ベットで動かず安静にして過ごして、もう大丈夫だと安心していた矢先に子宮内胎児死亡。
死んじゃった。
いなくなっちゃった。
私の赤ちゃん。
涙があふれる中、出産とほぼ変わらない処置を受けることを聞く。
出産を待つお腹の大きな妊婦さんが乗る分娩台で、私は苦しみながら小さな小さな赤ちゃんを出産した。
まだ5ヶ月になったばかりの手のひらにも余る小さな赤ちゃんだった。
ほんとうに可愛かった。
出産の前夜、夢のなかで「ママ、ごめんね」って言ってくれた。
ママこそごめん。
今も涙がふと溢れてくる。
子供連れの夫婦や妊婦さんを見るのがつらい。
「いいな」と思う。
職場復帰を打診してくれる同僚や先生もいるが、当分あの環境には辛くていられない。
■在宅ワークをはじめた理由
採血や一般の検査業務に戻る事も考えたが、すぐに妊活に入るのならばやめたほうが賢明だと思った。
でも家事だけでは何か物足りない。
自分自身が社会と何かつながっていたい。
お金を稼ぐという行為に飢えてしまう。
だから在宅ワークを選んだ。
検査技師としての経験はなかなか活かすことができないけれど、でも何かに没頭している間は心が落ち着く。
世の中は女性の社会進出を進めるも、少子化対策という難題に取り組んでいる。
当事者としては矛盾しているようにも思えるが、なんとか良い環境づくりをして欲しいと思う。
自分の体調を元に戻しつつ、落ち着いたらまた、妊活に励もうと思っている。
女性には、男性には分かりづらい苦悩と苦痛が沢山あるのだ。